滋賀県の日野町で起きた日野町事件は、1980年代の地方の町で起きた殺人事件として始まりました。けれども年月が過ぎるにつれて、この事件は一つの殺人事件という枠を超え、取調べ、自白、証拠開示、再審という日本の刑事裁判の問題点を考えさせる出来事になっています。私がこの事件を初めて知ったのは、再審開始決定のニュースを見たときでした。金庫発見現場の写真の順番が入れ替えられていたという話を読んだ瞬間、背筋が冷えたことを覚えています。この記事では、日野町事件の経緯と問題点、再審開始に至るまでの流れ、そして最高裁の判断が持つ意味を整理します。
日野町事件の発生と有罪確定までの流れ
まずは事件の出発点を確認します。
1984年の失踪と遺体発見
1984年12月29日、滋賀県蒲生郡日野町で酒店を営んでいた女性が行方不明になりました。自宅兼店舗の内部に争った形跡はありませんでした。同居していた親族の女性も異変に気づかなかったとされています。翌1985年1月18日、町内の造成地で遺体が発見されました。さらに4月28日には山林で手提金庫が見つかります。これが事件について確実に確認できる事実です。
遺体の状況から殺害は明らかでした。しかし、いつ、どこで、どのように殺害されたのかは分からないままでした。犯人像も具体化していません。事件は手がかりの少ないまま進みます。
阪原弘さんの逮捕と自白
警察は1985年9月、酒店の常連客だった阪原弘さんに任意同行を求めました。店内から検出された指紋が一致したことが理由です。この時点では阪原弘さんは関与を否認し、阪原弘さんの妻がアリバイを説明しました。阪原弘さんは帰宅します。
ところが1988年3月、警察は再び阪原弘さんを呼び出し、取調べを行います。強い圧力の中で自白が作成され、3月12日に逮捕されました。その後も多数の自白調書が作られ、金庫発見現場や遺体発見現場への引当捜査の調書も作成されます。検察は4月2日、強盗殺人罪で起訴しました。
この流れを読むと、取調べ室の空気を想像せずにいられません。数日間、何時間も続く取調べ。否認を続けると帰れない状況。阪原弘さんの供述は変遷し、不自然な点も多く指摘されています。
第一審と控訴審の矛盾した判断
第一審の大津地方裁判所は1995年6月30日、無期懲役の有罪判決を言い渡しました。ただし判決は自白について「信用性が高いとはいえない」と述べています。内容が変わり、他の証拠と矛盾する部分があると認めました。
それでも有罪とした理由は、指紋や目撃証言などの間接事実です。阪原弘さんが近所に住み、酒店に出入りしていた事実が重視されました。アリバイが成立しなかったことも不利に扱われました。
ところが控訴審の大阪高等裁判所は1997年5月30日、第一審とは逆の評価をします。間接事実だけでは犯人と認められないと述べる一方、自白の基本部分は信用できると判断しました。証拠の評価が真逆なのに、結論は同じ有罪です。読んでいて強い違和感が残ります。
最高裁判所は2000年9月27日、上告を棄却しました。阪原弘さんの有罪は確定し、無期懲役のまま服役が続きました。
再審請求と証拠開示で明らかになった問題
有罪確定で終わらなかった点が日野町事件の特徴です。
第一次再審請求と新証拠
2001年11月、阪原弘さんは大津地裁に第一次再審請求を行いました。知人が改めてアリバイを証言し、法医学鑑定では自白内容と遺体の損傷状況の矛盾が示されました。金庫の破壊方法と工具痕の不一致も指摘されています。
それでも2006年3月27日、再審請求は棄却されました。決定は自白と客観的事実が合わない点を認めながら、記憶の曖昧さが原因としました。核心部分は信用できるという判断です。
ここで私は首をかしげました。具体的な状況が食い違っているのに、核心部分は信用できるとする理屈が分かりません。事件から3年以上経って逮捕されたから記憶が曖昧だったという説明も、説得力があるとは感じませんでした。
阪原弘さんは2011年3月18日、無期懲役囚のまま亡くなりました。第一次再審請求は結論が出ないまま終わります。第二次再審請求と写真ネガの発見
2012年3月30日、遺族が第二次再審請求を行いました。弁護団は証拠開示を求めます。開示された写真ネガを精査すると、金庫発見現場の実況見分調書の写真が実際の順番と異なっていることが判明しました。
捜査員が阪原弘さんに案内されて現場に到達したように見える構成でしたが、実際は捜査員が場所を知った状態で移動していた可能性が示されました。この点は確定判決で重視された事実です。ここが揺らげば、判決の土台も揺れます。
写真の順番が入れ替えられていたという具体的な事実は、机上の議論ではありません。フィルムを光に透かし、コマ番号を確認する作業を想像すると、その重みが伝わってきます。
再審開始決定と検察の抗告
2018年7月11日、大津地裁は再審開始を決定しました。引当捜査を担当した警察官の証言や、法医学者の意見も考慮されました。検察は即時抗告を行いましたが、大阪高等裁判所は2023年2月27日、抗告を棄却します。
その後、検察は特別抗告を申し立てました。最高裁判所第二小法廷が審理し、最終的に特別抗告を棄却しました。これにより再審開始が確定します。
このニュースを見たとき、長い年月を思いました。事件発生から40年近くが経過しています。阪原弘さんはすでに亡くなっています。それでも裁判は動きました。
日野町事件が問いかけるもの
最後に、この事件が残した問いを考えます。
自白と証拠評価の難しさ
日野町事件では、自白の扱いが争点になりました。第一審は自白を信用できないとしながら有罪にし、控訴審は自白を信用できるとしました。どちらも結論は有罪です。
取調べで作成された調書がどこまで正確なのか。自白が客観的証拠と合わない場合にどう判断するのか。この問題は日野町事件に限りません。ニュースで他の再審事件を見るたび、同じ構図が繰り返されています。
証拠開示の重要性
写真ネガの開示がなければ、引当捜査の疑問は表に出なかった可能性があります。証拠をどこまで開示するかは裁判の公平さに直結します。弁護団が粘り強く請求を続けた結果、事実が明らかになりました。
私はこの点に強い印象を受けました。紙の記録やフィルムのコマが、長年の判断を揺るがします。証拠は保管されているだけでは意味がなく、検証されて初めて力を持ちます。
再審開始の意味
再審開始は無罪確定ではありません。しかし、有罪判決に重大な疑問があると裁判所が認めたことを意味します。阪原弘さんは亡くなっていますが、遺族にとっては名誉回復への一歩です。
日野町事件は、地方の小さな町で起きた事件から始まりました。けれども現在は、日本の刑事司法全体を考える材料になっています。事件を知ることは、単に過去を振り返ることではありません。取調べの在り方、証拠の扱い、再審制度の役割を具体的に考える機会になります。
私自身、この事件を調べる中で、判決文を読むことの大切さを実感しました。見出しだけで理解した気になると、細部の矛盾に気づきません。日野町事件は、その細部にこそ核心がある事件です。再審の行方を追いながら、これからも記録を読み続けたいと思います。
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