『BACKBEAT』とは何か?映画と舞台の違い、知られざる5人編成の理由とスチュアートの真実

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ビートルズといえば四人組のバンドだと思い込んでいた。レコードでも映像でもいつも四人が並んでいるから。でもあるとき『BACKBEAT』というタイトルに出会ってしまって、世界が少しだけ揺れた気がした。あの伝説のバンドに、幻の五人目がいたなんて。しかも、その人物を中心に描かれた作品が、映画にも舞台にもなって、まるで時代をまたいで語り継がれている。そんな背景を知ってから『BACKBEAT』を観ると、もうただの青春音楽ドラマではなくなる。今回は、映画と舞台の違い、五人編成の理由、ピート・ベストの存在、そしてスチュアート・サトクリフがバンドを離れた理由とその結末について、できるだけ語りすぎない範囲で、じわっと伝えたい。

目次

『BACKBEAT』という作品の魅力と、映画版と舞台版の違い

ビートルズの始まりは、華やかなロンドンでもなく、スタジアムでもなく、薄暗いハンブルクのクラブだった。映画『BACKBEAT』は、湿った空気にたばこの煙が混じるライブハウスで、少年ぽさが残る若いジョン・レノンとスチュアート・サトクリフの友情を中心に描いている。音楽というより魂の叫びみたいな演奏シーンが特徴で、荒削りな感じが妙にリアルだった。リズムも不安定で、音も歪んでいるのに、その雑さにこそ始まりの匂いがあった。

映画版はカメラが近い。顔の汗や視線の迷いがはっきり見える。ジョン・レノンの言葉は刺々しくて、スチュアートは夢の途中で立ち止まっているように見える。友情と芸術と迷いの三つが絡みあって、観ている人の胸をざわつかせる。音楽よりも心の距離の方が作品の中心にあるような印象だった。

舞台版は空気がまるで違う。舞台の床を踏む足音、マイクの前で深呼吸する姿。映画では感じられなかった音の振動が客席まで届く。観客の反応で演者の感情が揺れて、それがさらにシーンの熱量を上げる。遠くて近くて、作られているようで、どこか本物の瞬間がそこに生まれている。一度だけの時間を共有する感じが、まさにライブだった。映画は完成された一つの記録。舞台は、その日限りの鼓動。

映画版はストーリーが切なくて胸が重くなる。舞台版は人間の弱さと強さを一度に見せてくれる。心を乱されるというより、押し出される感じがした。映画が詩なら、舞台は手紙みたいだとふと思った。

なぜ“5人編成”だったのか?ピート・ベストの存在と始まりのリアリティ

ビートルズが四人組というのは、多くの人にとって常識だった。でも最初は五人編成で、しかもその五人目はベーシストでもあり画家でもあった。スチュアート・サトクリフという名前を知ったとき、バンドの始まりが音楽よりも絵画寄りだったことに驚いた。バンドのロゴを最初に作ったのもスチュアートだったという話を聞くと、音楽と視覚の境界に立っていたのかもしれない。

さらにもう一人、ピート・ベストというドラマーがいた。初期のライブでは、ピート・ベストのリズムがバンドを支えていた。スティックの打撃音が鋭くて、荒く、若さだけを音にしていたような印象だったと聞いたことがある。ピート・ベストのドラミングは安定していなかったと言われることもあるが、荒さこそが当時のビートルズらしさだったのではないかとも感じる。

五人編成だった理由は、人数が必要だったからではなくて、始まりには常に形のないものが混じっていたから。芸術を追いかけたスチュアートと、音楽を突き詰めたいジョン・レノン。そして、本当の意味でのプロ志向を持ち始めていたポール・マッカートニーとジョージ・ハリスン。誰も正解を持っていなくて、それぞれが違う方向に進もうとしていた。その状態を象徴しているのが五人だったのかもしれない。

ピート・ベストは解雇されてしまい、リンゴ・スターが加入することで、今のビートルズの形が生まれる。しかしピート・ベストの存在がなければ、あの荒々しいハンブルク時代は成り立たなかった。きれいな音楽が好きな人には刺さらないかもしれないが、始まりには雑味や迷いがあるもの。ピート・ベストのドラムは、まさにその匂いを残していた。

スチュアートがバンドを離れた理由とその結末

スチュアート・サトクリフがバンドを離れた理由は、単なる音楽的な才能の差ではなかった。ベースの腕前は確かに高くはなく、ポール・マッカートニーの方が音楽的な素質はずっと高かった。でも、話はそんなに単純ではない。スチュアートはバンドの一員であることよりも、自分の人生をどう描くかを考えていた。ハンブルクで出会ったアートスクールの空気、写真家アストリッド・キルヒャーとの出会い。音楽よりも、自分の魂が瞬く時間を大切にしようとしていた。

西ドイツのアトリエで絵を描いたスチュアートは、静かな部屋で白いキャンバスに向かっていた。あの時もし耳を澄ませたら、遠くでバンドの演奏が聴こえていたかもしれない。それでもスチュアートは筆を下ろし、目の前の絵を描き続けた。音楽の熱狂の外に、自分の居場所を見つけようとしていた。その姿は逃げたというより、選んだと言った方が近い。

しかしスチュアート・サトクリフは21歳という若さで命を落とした。脳出血と言われている。その結末はあまりにも突然で、あまりにも静かだった。ジョン・レノンが喪失感に耐えられず、ステージで演奏中に涙を流したという話が残っている。ステージのライトの下で、声が震えて歌えなくなったと聞いたとき、バンドの中心にいたのは音楽ではなく、心だったのだと感じた。

スチュアートが残した絵画には、静けさの中に温度がある。ビートルズの音楽は世界を変えたと言われるけれど、スチュアートの絵は世界を変えようとしなかった。ただ、目の前の時間を描いた。それが、とても人間らしい。

ビートルズにはもう一つの始まり方があったかもしれない。絵画の世界に生きるスチュアートと、音楽で世界を揺らすジョン。その二つの人生が一瞬だけ重なっていた時間。それが『BACKBEAT』の正体なのだと思う。

たまに、もしスチュアートが生きていたらと考えることがある。ビートルズのアルバムのアートを手掛けていたかもしれない。もしかしたら音楽活動に戻っていたかもしれない。想像は尽きないけれど、その答えは過去ではなく、作品の中に生き続けている。

『BACKBEAT』は、音楽の物語ではなく、選択の物語だった。四人ではなく五人で始まった意味が、少しだけわかった気がした。

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